第5回 市場と一物一価
経済学では、市場が十分に機能すると、「一物一価」となるといいます。これは別名、ジェヴォンズの「無差別の法則」ともいいます。
一物一価とは、ひとつの財(ただし質は同じ)には、一つの価格がつくということです。なぜ、一つの価格しかつかないのでしょうか。それは、買い手が、その財に対する情報を十分にもっていれば、経済人(合理人)ですから、一円でも高いものは売れなくなるとみるからです。
では、なぜ、実際の財の価格はいろいろと異なっているのでしょうか。
まずは、現実の買い手が、必ずしも経済人(合理人)ではない、といこともあります。また、情報を十分(完全)にもっているということもフィクションです。近郷近在の財の価格をどうして集めることができるでしょうか。集めるのにも、時間とコストがかかります。
さらには、まさに、市場という概念の根本問題にかかわっています。
もともと、市場は、買い手と売り手と競り人からなる市場(いちば)の観察から生まれたものですが、現在のミクロ経済学の市場は、「空間と時間」に制約されない観念的抽象的な存在(概念)なのです。もし、時間の要因を入れると、様々な人々の間で、情報の入手と判断のタイムラグが生まれ、一物一価とはなりません。また、現実空間をみると、財の価格が異なることも認めなければならなくなります。たとえば、隣の町のたこ焼きが300円で、自分の町のたこ焼きが400円だったとして、隣町の方が100円安いのですが、買いにいくのに、交通費が200円かかったら買いに行く方がむしろ損になります。また買いに行くためには時間を浪費してしまいます。1時間往復でかかったら、1000円のアルバイトができたかもしれません。このような理由で、現実の財は、一物一価となっていないのです。もちろん、財の質がまったく同一というのも非現実的な前提です。さきのたこ焼きでも、どんなに似ていても、焼き方や材料がまったく同じとは言えないでしょう。
しかし、このような現実的な個別条件をいれると、理論化ができなくなるので、それらは無視して考察をするのです。
逆にいえば、無視して理論が出来上がり、この理論の上で、後から現実的差異を加えて考えるということもできます。
ただし、ネットの金融取引は、世界大の市場で瞬時に取引可能ですので、理論的世界も限りなくリアルに近い場合もあるのです。