第32回 コモンズの悲劇
ここでいう「コモンズ(commons)」とは、準公共財の「共有資源」のことです。
私有財産制度が確立する前には、洋の東西を問わず、共有資源が多く存在していたと思われます。
その共有資源は、前にもお話ししたように、競合性と非排除性が財の特徴です。すなわち、お金は払わなくても使えるのですが、皆が同時に消費するには、資源が不足しているか、時間とともに、減少するようなものです。
イギリスの牧草地が、「コモンズの悲劇(Tragedy of the Commons)」のもととなった舞台なので、ここでもそれをみていきます。
イギリスの牧草地も、共有資源もあれば、私的財もあったでしょうが、ここでは共有資源としての牧草地の話です。ある限られた面積の牧草地に、少ない数のヒツジを飼っているときには何ら問題は起きませんが、牧草地の利用にはお金がかからないので、人々は自分の収入を増やすために、ヒツジの保有数をどんどんと増やそうとするでしょう。すると、牧草はあっという間に食べ尽くされて、荒れ地となり、逆に、ヒツジがまったく飼えなくなるという悲劇が起きることをいいます。
それに対して、私的財(自身の所有地)ですと、自分のヒツジが飼えなくなることは自己の利益に反するので、荒れ地にならないように、頭数をうまく制限するでしょう。ここでいえることは、共有地こそが、人々の野蛮な欲望追求の対象になるということです。
これを抑えるためには、共有地の利用の制限がもっともよい方法といえます。しかし、そのためには、誰かが抜け駆けをしないように、常に監視する必要があり、監視コストとそれを破った人に対する制裁コストもかかります。また、私的財にして、バラバラに土地を分割販売することも考えられます。ただし、そうすると、小さな個人所有の土地ばかりとなり、全体として、牧羊が成り立たなくなるかもしれません。
これの現代版が、漁業資源問題です。海の魚は無主物なので、獲ることに費用はかかりません。もちろん、船の購入費用や操業コストは別ですが。自由に魚を獲ることができるので、魚を獲りすぎて、魚自体が減っています。そこで、個別の漁師は、自身の収入を増やすためにますます大型の船で魚を獲ろうとします。そうすると、結局は、ニシンのように、まったく獲れなくなることも起きてきます。そこで、水産資源の保護のためには、漁獲量の制限・管理が必要となります。
これ以上、魚を獲りすぎると、絶滅する魚種も出てくるので、厳しい管理が必要ですが、さきにも述べたように、それにも大きな費用がかかるために、乱獲の歯止めがかかっていない状態といえます。
日本の非常に重要な水産資源が危機に瀕しているといっても過言ではないでしょう。
政府には、思い切った捕獲制限と厳しい監視をしてもらい、持続可能な資源を未来に残してほしいものです。