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総合システム論 第19回 デジブリな生活

 今から、40年前に、『第三の波(The Third Wave)』(1980)という本が、一世を風靡しました。その筆者は、未来学者のアルビン・トフラー(Alvin Toffler, 1928-2016)です。

 第一の波は、農業革命で、第二の波が、工業革命で、第三の波が、情報革命であるといいました。または、「脱産業社会(Post-industrial Society)」が到来するといいました。シンプルに時代変革の潮流を示していたために、当時は大変な評判を得ました。筆者も若かりし頃、この本を読んで大いに感銘を受けた記憶があります。

 しかし、その後の日本の経済社会は、超工業化して、都市化がますます強まりました。一方、地方部は一層、少子高齢化と人口の流出で、衰退していきました。

 何が、問題だったのでしょうか。

 地方は、人口が減少していることもあり、一人当たりの土地や建物の面積が大きくなり、公共資本のひとりあたりの割合も大きくなっています。ひとことでいえば、地方には、素晴らしい自然資本と文化資本があるのです。

 結論は、分かっています。

 若者が好むような知識産業や情報産業がないからです。平均所得も地方は低く、ハイテク産業や大企業の本社が集中する東京に、一極的に人口が集積していったのです。ようは、仕事が地方にはないのです。これまでも、多くの研究者や行政マンが地方への人口の分散による国土の均衡ある発展論を唱えてきましたが、ひとことでいって、失敗といえるでしょう。筆者も、地方大学勤務が長かったので、いろいろと地方活性化政策の立案と提言などもしてきましたが、うまくいったためしはなかったのです。自身の無力さを痛感して、30年が過ぎました。

 ところが、このコラムのような「デジタル・ブリコラージュ」的な仕事や生活(略してデジブリな仕事)ができるのならば、ひょっとしたら、日本の地方都市の再生になるかもしれないなと考えたのです。都市の過密化による外部不経済と、地方の過疎化による外部不経済を防げるかもしれないのです。

 ブリコラージュに関しては、当コラムの「第14回 野生の思考」でお話ししました。

 ようは、未開社会の人々の仕事は、レヴィ=ストロースに言わせると「ブリコラージュ」で、手に入るあり合わせの素材で、器用に有用物を作り出すということです。

 ここでのデジタル・ブリコラージュとは、筆者の造語ですが、「ネットのなかのフリーな素材を使って、効用のあるコンテンツを創出すること」をいいます。ネットの中には、フリーな素材や、著作権があっても、コモンズ(利用は可能)がたくさんあります。対価を払ってもそれが安ければいいのです。その素材を使って、コンテンツやナレッジを開発・制作して、ネットで送信または配信します。

 企業であれば、東京に人が集中しなくても、地方で開発・創作可能です。通信の限界費用はほぼゼロです。地方に住んで、原則は、そこで開発し、ときどき、東京にいくという勤務形態です。大規模な研究開発施設が必要な場合は、このような勤務は不可能なように思えますが、本当にすべての人が一ヵ所に集まる必要があるのでしょうか。ネットによる多極分散型の開発は可能なのではないでしょうか。打ち合わせや会議や営業は本社機能が集まる東京のほうが有利なので、これまでそうなっていましたが、その3分の一くらいでいいのではないかと、これは直感で思います。さらには、若いうちは東京で働き、中年以降は地方で働くことありうるでしょう。また、その逆や、何度もそれを繰り返すこともできるでしょう。現に、大企業は、地方に支社や支店をもっています。地方への人口の移転によって、そこに需要が生まれれば、地方移転は案外、可能ではないでしょうか。

 つぎに、中小企業でも、仕事さえ、ネットで受注できる仕組みがもっと整い、活発化すれば、地方の方が、住居費や生活費は安いので、暮らしの水準はむしろ上がる可能性があります。地方の産品もいいものがたくさんあります。いまも、そのようなサイトがありますが、大企業が発注しないので、あまり大きな流れとはなっていません。

 最後に、個人のワークスタイルとして、先のトフラーは、「エレクトリック・コテージ」という言葉を使っています。地方の一軒家や一室をデジタル化・電脳化します。または、何人かがそこに集まります。簡易なデジタル・スタジオとでもいえるようなものです。そして、ネットの素材をフル活用して、コンテンツやwebを創作したり、または、地方の産品を高度化します。それを、ネットで地産地消的に販売したり、都市部やはたまた世界に販売します。地方から直の越境ECももちろん可能です。

 そのような人々は、デジブリを創作して、収入を得るとともに、農業を営むこともできます。農業の六次化産業として、店を開けながら、創作もします。徹底して地方にこだわったコンテンツならば、YouTubeで収入を得ることもできるかもしれません。趣味でサーフィンや山岳登山を楽しみながら、そこそこの収入を得られれば、生活費との兼ね合いでみた場合、生活の効用は高くなることは十分に考えられます。美味い魚と野菜と地酒が安く手に入り、キャッシュフローも、デジブリによって得られれば、「豊かな田舎暮らし」、「豊かなスローライフ」が可能となるのではないでしょうか。

 このような議論は、最初でお話しした、トフラーの第三の波以後、何度も話題となりながらも、東京一極集中と地方の衰退化現象は止まっていません。

 このデジタル・ブリコラージュによって、はじめて、普通の人々が、大都市と地方を循環しながらも、本拠が地方という生活スタイルが生まれるような気がします。

 皆さんはどう思われますか。

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