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総合システム論 第35回 まなざしと他者性

 まなざし(眼差し)は、モノや現象にも注がれますが、なんといっても、他者との関係性において大きな意味を持ちます。他者にまなざしを注ぐこと、または他者からのまなざしは、他者へ大きな影響を与えます。行動経済学の他者性問題です。

 そこで、今回は、まなざしを考えます。

 日本語には、「みる」という言葉がたくさんあります。たとえば、「見る」「視る」「観る」「覧る」「看る」などがあります。他にも、「睨」(にらむ)「瞠」(おどろき)「眩」(めがくらむ)などがあります(無藤隆他『心理学とはなんだろうか』新曜社)。

 広くいえば、これらは「まなざし」ということができます。

 このように、まなざしは人間にとってたいへんに重要な行為・行動なので、多くの表現をもっているのだと考えられます。

 あらためて言うまでもないことですが、まなざしは、単なる物理的にものを見ることではないのです。本人が、モノや人や現象に対して、注意を向ける選択的・意図的・意思的行為なのです。

 たとえば、マーケティングにおける購買プロセスの「AIDMAの理論」がそれを明確にしています。まず、Aは、注目(Attention)です。まさに、まなざしそのものです。ただし、関心(Interest)もまなざしのなかに含まれます。さらには、つぎの欲求(Desire)も入っているともいえます。

 これまでも、当コラム第25回では、見る角度やフォーカスの問題を考えましたが、第28回のパノプティコンは監視の問題としてまなざしを捉えました。まなざしは、人を管理し、支配し従属させるための方法という面もあります。

 まなざしは、現代経済社会においては、お金になる行為ともいえます。たとえば、YouTubeであれば、視聴回数(再生回数)やチャンネル登録数は、収入に反映されます。この場合、まなざしの数とその持続時間が重要となるのです。これとの対比でいうと、TVは、人々のまなざしを失いつつあるといえます。

 まなざしは、先にも述べたように、本来は認知や意志という精神的要因をともなった行為です。しかし、「優しいまなざし」や「厳しいまなざし」や「鋭いまなざし」や「愛情あふれるまなざし」などという言葉もあります。このような場合は、感情をともなったまなざしになっているのです。

 逆に、現代社会の負の面ともいえるのですが、独居老人や孤独な人々は、他者からのまなざしを失っているのです。ほかの言葉でいえば、「見捨てられている」、「見棄てられる」ということになります。他者のまなざしは、人々に生きる意味と励ましを与えているともいえるのです。

 誰も見棄てない社会の構築は、優れた社会のひとつの公正基準でしょう。

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