マクロ経済学第57回 合理性
ミクロ経済学は、合理人仮説にたっていることは本コラムでも何度も述べていますが、とくに、マクロ経済学では、合理的であるかどうかが大いに問われています。
その理由の一つは、初期のマクロ経済学は、実証分析を通じて、理論を組み立てており、その場合、どこまでが合理的であるのかが問われるからです。
次回お話しする合理的期待形成などは、そのものずばり、合理性が理論の焦点になっています。
そこで、ちょっと迂遠ですが、「合理性(rationality)」について考えてみます。
この言葉は、本来は哲学用語であったと考えられますが、いまでは、日常用語として使用されています。
しかし、合理性または合理的とはどのようなことを意味するのか、またはどこまでを指すのかを判断することはかなり困難なことです。
『Welbio(類語辞典)』によると、「合理的の意味素(意味のもと)」を8つ書いています。それを簡潔にまとめると、まずは「正確で有用な理論が可能であり、有効な理論の可能性をしている」として、類義語として、「筋の通った」「科学的」「論理的」があります。また、「時間または費用または実費を浪費することなく効率的である様」とし、「効率的」「機能的」「能率的」をあげます。あとは、「既知の声明」や「道理にかなったやり方」や「理由が一貫した」や「知的な方法」や「明瞭で一貫した方法」があげられています。
これらをみると、合理的の反対語は「非合理的」ですが、いまひとつ、「感性」があります。この中には、感情、感覚、情緒、ムードなどが入りますが、これについてはまったく触れていません。これからすると、合理的にはそのようなものが意図的に排除されている(暗黙の裡に無視している)というべきでしょう。筆者自身は、人間の全精神活動をすべて含んでいると考え、方法論としては、上記の定義を採用すべきと考えます。ただし、それを変数としてどう取り込み、関数化(数式化)することは容易ではないことも事実です。
そこで、経済学として、合理性を考える場合には、上記定義の第1番目と第2番目あたりで語られることが普通でしょう。
それをまとめると、「合理性とは、筋の通った科学的な理論で、効率的であること」といえそうです。
そのためには、「情報」が十分に意思決定者に与えられていなければなりません。ですから、合理性を担保するための情報をすこし考えてみます(本コラムの情報経済論にも多数の情報に関する見解があります)。
ここでは、「情報の十分性」または「情報の完全性」のための考察をしてみたいと思います。
第一は、情報の時間問題です。たとえば、商品の品質や価格や取引参加者や経済状況などの情報は、今現在の情報がもっとも重要でしょうが、過去の情報も重要です。前回のヒステレシスも過去のシグナルとの関連を考えています。また、将来の財に関する情報も重要です。
第二は、意思決定のプロセスです。なんらかの意思決定を行う場合、まずは情報収集をおこない、つぎに、判断・評価をおこない、最後に、行動を起こします。すべて意思決定にもとづいていますが、そのすべてにタイムラグが生じているといえます。
第三は、行動経済学的なバイアスの問題です。大きく括ると、ヒューリスティックスと他者性と時間選好性に分かれます。それぞれには数十のサブ理論をもちますが、それらが、様々な意思決定に歪みや偏向をもたらします。他の言葉でいえば、情報収集にも選択的なバイアスが働き、評価判断にも様々なバイアスが影響を与えることになります。
第四が、情報処理能力の問題です。たとえば、財の価格は他の無数の財の価格に影響を及ぼしますが、それは限られた時間のなかでは計測できません。よって、原理的に、常に不十分な情報処理といえます。
しかし、それもICTの発達によって、完全な合理性が実現できると何度かいわれてきました。
たとえば、2000年前後喧伝された「ニューエコノミー論」がそうでした。結果、ほとんど架空な出来事としていまでは評価されています。少なくとも、経済の本質が変わったというのは明らかに言い過ぎです。
昨今では、第三次AIの出現が話題となっています。これによって、労働者の過半近くの労働者が職を失うとの見解(ただし、20年以後)もありましたが、まだ、ほとんどは顕在化していません。ただし、違う仕事に変容することは将来的には十分考えられます。これについては、また、近々、論じていきたいと思います。
ちょっと冷静に考えてみると、無数の企業と人々が、自由な創意と工夫をし続けている中、どうして商品の品質や価格や取引状況の情報が十分に得られるのでしょうか。
しかも、他者の商品やサービスがいち早く他者に知れるようになるということは、逆に、それを知って、素早く模倣をしたり、改善・改良を加えられるようになることを意味します。それが永遠に続く社会経済のなかで、情報の十分性、いわんや完全性は架空の設定といえるでしょう。
ただし、競合者(社)にとっては相対的に情報をより多く持てばいいのですから、情報の量と質をいち早く確保する企業や個人は、競争優位に立てるとみることはできます。