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第14回 日本のICT投資の基底層

 前回から、「ICTの日本問題」について議論しています。

 今一度、確認すると、米国を含む欧米の主要先進国に対して、なぜ、日本のICT投資は少ないのかを考えています。ただし、日本のなかで情報通信産業が興ったときから、ICT投資(かつてはIT投資または情報投資といっていましたが、今後はICT投資に統一)が少なかったわけではなく、1995年から、極端に差がついたということの理由を解明します。

 ということは、1995年以降に何が起こったかを考えた方がいいかもしれません。しかし、それもいろいろな要因が長い時間軸の中で複合化しているといえます。と同時に、それ自体も、日本の社会観、組織観、企業風土と大いに関係するとみることもできます。

 そこで、今回はきわめて大きな話をします。その後、徐々に個別具体論を展開します。

 かつて、『文明の衝突』(原題名は“THE CLASH OF CIVILIZATION AND THE REMAKING OF WORLD ORDER”,1996)というS・ハンチントン(Samuel P. Huntington)の著書が、日本でも大きな話題となっていました。

 当時の日本経済は、慢性的な不況でしたが、日本の周りの政治および軍事状況は比較的安定していました。かつ、まだ中国の経済規模や国家の存在感は大きくありませんでした。

 なので、ハンチントンの見解では、日本文化は大きくいえば中国文明圏のなかに位置づけられていることに、ちょっと寂しくもありながら、あまり実感がないといった感じでした。

 しかし、中国が世界第二位の経済大国化し、そのプレゼンスを高めつつあることをみると、ハンチントンの見立ては、現状を先取りしていたように思います。

 ここは、政治的軍事的問題はまったく対象外なので、これ以上触れませんが、ほぼ四半世紀前の日本の社会経済への氏の見方が、今回の「ICTの日本問題」にもつながっていると考えたので、持ち出した次第です。

 上記書の日本評価編ともいうべき『文明の衝突と21世紀の日本』(同著、鈴木主税訳、集英社、2000)の内容を要約しながら、議論を展開します。

 まず、世界は、「一極・多極(uni-multipolar)」状況であると喝破します。

 一極とは、米国が唯一の超大国ということです。たしかに、冷戦時代がソ連の崩壊により終焉を迎え、米国のみがスーパーパワーをもつ状況が長く続きました。しかし2019年の今現在の米国の社会経済は、スーパーパワーとはいえない状況であるといえます。それを反映し、トランプ氏は、アメリカンファーストを掲げて大統領になりました。圧倒的に力があるのであれば、ファーストなどを持ち出す必要がないからです。もちろん、軍事力及びここで議論するICT系の産業競争力は他国を圧倒していますが。

 本題に戻ると、上記本のなかで、米国と日本の違いを鮮明に述べています。しかも、「ハンチントンの認識」は、米国と日本は、「世界の主要な社会のうちで最も近代的である」にも関わらず、あらゆることが対照的であると述べています。その対称性を比較したのが図表です(ただし、筆者の要約による)。

 その前に、氏は日本に対して、以下のような4つの見解をもっています。

 第一は、「文化と文明の観点からすると、日本は孤立した国家」であるといいます。第二は、「最初に近代化に成功した最も重要な非西洋の国家でありながら、西洋化しなかった」と述べています。第三は、「日本には革命がなく」、伝統的文化を維持しているとみます。最後に、「他の国との間に文化的なつながりはない」といいます。

 総括すると、「近代化の頂点に達しながら、日本的な価値観、生活様式、人間関係、行動規範に関して非西洋的」と理解しています。筆者は、概ね、氏の認識を肯定するとともに、日本なりの変容もあると理解していますが、それは今後の課題とします。

 ICTの投資に関する議論なのに、このような文明論的議論をした理由は、日本のICT投資が伸びない理由の根本にこれが基底に横たわっているとみているからです。

図表 ハンチントンの日米の社会原理の比較

このハンチントンの認識をもう少し詳細化したのが図表です。

 ここで示されているのは、日本でもよくみうけられる見方です。

 まず、米国の個人主義に対して、日本は集団主義とみます。つぎに、米国の平等・自由主義に対して、日本は階級・権威主義であると彼はみています。さらに、米国は、競争主義であり、異質を尊重するが、日本は、協調主義で同質性を重んじるといいます。

 この見解に対して、四半世紀前のクラシックでステレオタイプ(紋切型)な見方ともいえます。それは、年配者の価値観や行動規範であり、いまの若者はかなり変容しているともいえますが、総じていうと、いまでも大筋ではその通りであるようにも思えます。

 たとえば、日本の若者は、個々人は個人主義(もっといえば超個人主義)であるといえますが、組織・企業にはいると、経営者層が高年齢層であり、内心は別でも、経営者層に合わせることもあるでしょう。それを繰り返していれば、少しずつ意識や価値観が変容し、日本的価値観が再生産されるのかもしれません。

 排外主義に関していうと、日本の方が外部(外国人)に対して、普遍主義のようにも思います。いまの米国は、排外主義に偏しているようにも思います。いまの日本はグローバル化という言葉が示すように、普遍主義を標榜しています。逆に、米国は移民の国なので、白人が持つ保守主義が復古しているのかもしれません。しかも、もともと米国は孤立主義を長らく掲げていました。

 まとめますと、日本は近代化し、高度な科学主義を採用しているにも関わらず、組織や社会規範は、あまり変わっていないと思われる面が多々あるのです。

 ICTは、「GPT(General Purpose Technology)」です。日本語でいえば、「汎用目的技術」といえます。なんにでも使える普遍的な技術ということですが、その分、特定の社会経済のあり方に沿った使われ方をするともいえます。

 ICT投資でいいますと、日本の社会経済規範に沿った結果が、いまの投資のあり方を規定しているといえます。まさに、日本の特殊性に依存した投資ともいえます。

 次回は、よりICT投資の問題に近づきたいと思います。

 日本と米国の「4つの双対原理」から考えていきます。

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