第7回 探索財はどこまで探索可能か
以前、マーケティング論の大家、P・コトラーが認めた、3種類の財の分類を書きました。今一度述べますと、探索財と経験財と信用財です。この3つについて、本当に、情報の不確実性や非対称性が解消されるのかを、ちょっと、論じていたいと思います。
まず、探索財を考えます。この探索財は、消費者(買い手)が、自身で調べれば、財の特徴や内容などが分かる財であると考えられています。
これに対して、まずは素朴な疑問があります。この世の中の財は、多分、数百万から数千万種類はあるでしょう。経験財と信用財を除いても、その大半は、探索財です。それらを個々の消費者が、その内容をよく知っているとか、生産者(売り手)と同程度に知っているというのは相当に無理があります。
そこで、大半の消費者は、もっとも代表的な商品や、有名ブランドの商品を購入するのです。これは、そのようなものは、多くの人々が認めているので、自分でその良否を判断する必要がないからです。バンドワゴン(追随者)である消費者は、全体の7から8割なので、商品に対する情報の不確実性や非対称性が解消されたというのではないのです。
つぎに、現代の商品は、無数の企業の創意と工夫によって、絶えず変化・進化し続けています。ブランド数や市場の細分化とも同じことです。このような場合、消費者が商品の十分な理解・評価は絶対にできないでしょう。
さらに、これはすべての財に共通していますが、新品以外は、その商品の状況・状態は本当のところ、分からないのです。究極的には、売り手しか分からないのです。
ここでは情報経済論を考えていますので、経済学的に解釈する必要があります。
探索することによる便益(効用)と、探索することによる費用を勘案する必要があります。もう少し経済学的用語でいうと、新しく探索される情報の獲得による限界便益(Marginal Benefit)とそれに伴う限界費用(Marginal Cost)が一致するまで探索活動は行われるべきですが、それを超えると逆にコストの方が高くなるのです。ということは、探索活動には、経済合理性という限界があるということです。他の言葉で言い換えると、情報の不確実性や非対称性の解消はある程度しかできないということです。
ここでみるように、情報探索はコストや現実的問題を考えなければ、原理的には可能かもしれませんが、実際には不可能ということです。