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第9回 信用財は信用できるか

 信用財は、結局は信用するしかない財です。現代の世の中に、信用するしかないような財はないと思いたいのですが、かなりあります。

 その1例として、医師または病院の医療行為を考えてみたいと思います。

 医療診断や治療行為や薬の投与など、何が最善の方法であるかは、一般の患者には知りようもありません。最近は、ネットのなかに、たくさんの医療情報が載っており、素人でも、読めばある程度はその行為や薬の意味は分かります。

 しかし、その行為が、自身にとって、もっとも最善であるかはわかりません。病気が治ったとして、その治療行為や薬で治ったのか、ただ単に、自分の自己治癒力で治ったのか、治ったにしても、もっといい、もっと早い方法はなかったのかどうか、知りようもありません。

 さらに、情報の非対称性論においては、医師の知識や技術や経験が優れているかどうかも、よくわかりませんが、これなんかは、周りの人々の評判や医師のこれまでのキャリアなどで、あらかた分かることもあるでしょう。また、最近は、セカンドオピニオンなどで、他の医師からの診断も受ける人も増えています。

 しかし、自分に対して、担当の医師が最善を尽くす、すなわち、努力水準を最大化させて医療行為してくれるかはわかりません。そこで、なるべく努力水準を高めてもらうために、担当医師に個人的にインセンティブを与えたり、知り合いの偉い先生の口添えを得たりします。

 これなんかは、すでに市場の失敗を防ぐために、個人の特別な取引をおこなっているようなものです。

 かつて、情報社会論の大家、梅棹忠夫先生は、情報の価格付けに関して、「お布施理論」を唱えられました。お坊さんの読経は、経典をそのまま詠むだけなのであり、だれが詠んでも同じはずだが、なぜ、そのお布施は金額が大きく異なるのかを分析されました。ようは、高いお布施代を出せる豊かな家や名家には、格の高いお坊さんがいくので、お布施が高いとみたのです。檀家の格と僧侶の格が釣り合って、相場が決まるとみるのです。情報それ自体の価値というよりは、社会関係性が価格を決定するとみるのです。

 有名な医師と、有名人や大物と呼ばれる人々の関係も似ているような気がします。気がするという単なるメディアや社会常識からする憶測の類ですが、多分そうではないでしょうか。そもそもそのような医師に診てもらうためには、紹介状が必要なことが多いでしょう。この段階で、一般人とは区別されているといえるでしょう。

 ここでは、医師の治療行為を対象に考えてみましたが、あらゆる信用財は、それぞれに特別な取引関係や取引方法があります。当該財のもっとも望ましい依頼の方法も判断が難しいものです。

 信用財は、その専門の道のあり方を観察しながら、道を進むしかないということでしょう。なぜなら、自身で判断は基本出来ないのですから。「蛇の道は蛇」のたとえどおり、似たような専門家や関係者の意見を参考にするしかないのです。

 でも、蛇の意見自体が信用できるのかという、メタ問題も生まれてきます。

 信用財は、本当の意味、信用できないものですが、信用するしかないのも事実です。

 皆さんは、「このままだと大変なことになりますよ」という医師の言葉に逆らえますか。

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