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第14回 モニタリング

 情報経済論は、情報の不確実性または情報の非対称性がある状況下で、少しでもいい経済・経営結果をもたらすようにする行動・制度・状況を考察します。

 今回は、「モニタリング(monitoring)」を考えます。

「目(eye)」は、様々なメタファーをもっています。たとえば、目が点になる。目が据わる。目が光る。目が曇る、などなど。監視との関係では、目による観察であり、目で見張ることです。見られる方も、相当のプレッシャーですね。それほど「目力」(眼力)は強いということです。視線恐怖症ということばあるくらい、強い影響力のあるものといえます。

 ここでは、経営者と従業員との関係で考えてみます。従業員は、労働契約を結び、一定の労働時間中は、労働に専念する義務があります。その対価として、賃金を得ます。

 その従業員が最大限の力で働いてもらうためには、従業員を監視することがもっとも有効な手段といえます。その他者を監視する行為をモニタリングといいます。他の言葉でいえば、「相手方に課せられた契約が遂行されているかどうかを見極めるための活動」です。この表現では、必ずも目視による監視ではなく、なんらかの労働者の行為を管理する行為や装置でもいいということです。

 どちらにしても、経営者が、従業員の労働を監視し続ければ、従業員は、労働契約を守って一生懸命に働く可能性が高まります。

 しかし、一日中、従業員を監視することは、現実的には不可能です。なぜなら、監視以外の経営者としての活動ができなくなるからです。そこで、中間管理者を雇って、現場で働いている労働者を監視させるようにします。

 これで一見落着のようですが、この監視者(モニター)を雇う費用が高くつきます。労働者が増えるにしたがって、監視者を増やすと、大企業になれば、監視者は相当の数が必要となり、管理コストははらみます。さらに、監視者としての中間管理者が、本当に監視をしているのかという問題もあります。そうなると、中間管理者を監視することが必要になり、さらに監視コストは増大します。

 しかも、モニタリングが本来的に機能しない場合もあります。たとえば、知的労働の場合、デスクについていれば知的活動がなされているのかは判然としません。いわんや、創造活動ではそうでしょう。

 また、監視活動が、労働者のやる気をそぐこともあるかもしれません。あからさまな監視活動は、労働者の不信を招くからです。

 かくして、労働者のやる気を阻害しない監視行為で、かつ、監視コストが大きくならない監視をすることは、簡単なことではないことが分かります。

 これは、一企業の例でしたが、国家社会が、一般市民や労働者を、AIなどで監視し続ける社会、すなわち、ビッグブラザーが支配する管理社会は、最悪の独裁国家を招来する可能性があります。

 モニタリング社会は、実は、かなり恐ろしい社会といえます。

 適切なモニタリングは、どうあるべきなのか、情報経済論からももっと考える必要がありそうです。

 

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