第20回 時間軸と情報の不確実性
人間社会および個々人に確実というものはほぼないといえます。
それを、時間軸のなかでちょっと考えてみましょう。
過去の出来事や事象は、「確実である」といえるかもしれません。しかし、過去の出来事の内容を完全に把握・理解することはできないでしょう。なぜなら、そのためには長い情報収集時間と情報分析時間が必要だからです。それは原理的には可能かもしれませんが、その間、他のことができなくなります。他のことをほっといてもよいぐらい重要な事件しか探索されないでしょう。しかも、「事実(fact)」が本当に事実なのかは、社会心理学の知見からすると、必ずしも当たり前ではありません。なぜなら、人間の知覚および認識能力には限界があるからです。それによって、事実誤認も多数起きます。また、「事実の評価」もいれると、それには人の主観性(バイアスや偏見)も入るので、確実というのも、かなりあやふやになっていきます。
では、現在は、どうでしょうか。今何が起きているのか、その情報を全部集めることも不可能でしょう。しかも、今(now:t)は、次の「今(t+1)」とつながっていますし、ここ(here)も空間的には世界大に広がっています。いまここでの情報処理も厳密にはほんの一部しかできないのです。
では、未来はどうでしょうか。
情報の不確実性の問題は、そのほとんどは未来についての問題といってもいいでしょう。未来は、絶対的に不確実です。とくに、今から離れれば離れるほど、不確実性は大きくなるといえます。経済学者やエコノミストが、来年や再来年の景気などを論じますが、当たったためしがありません。ただし、100人そのような予言者がいたとして、そのすべてが100通りの違う答えをいえば、一人はあたるかもしれません。しかし、それは偶然です。または、占い師の使う方法として、どうにでも解釈可能なあいまいな回答も多々あります。
そこで、前回みた期待値計算をするのが合理的なのですが、人間は本来この計算が得意ではありません。それにはいろいろな理由がありますが、その大きなもののひとつに、「リスクに対する理解・評価」の問題があります。次回はそれを考えてみます。