第35回 公共財とフリーライド問題
公共財の便益の大きさは、利用者の表明をまちました。
利用者から公共財に対しての評価を聞くのは、「消費者主権」にもかなっており、民主主義的だと考えます。市民が望むものを供給することは行政の役割ともいえます。
しかし、利用者が高い評価をした場合に、その価値の大きさに比例して、個人の負担が大きくなるとすると、利用者はどのような行動にでるでしょうか。
普通の人であれば、自己負担が増えるのであれば、価値表明を低めにしようとするでしょう。それでも公共財の利用は原則妨げられないからです。このような行動や現象を、「フリーライド(free ride)」といいます。
この問題を、図表を使って考えていきます。この図表は、2人が、フリーライドをするとどうなるかを示したものです。ここでも、2人モデルを使います。
図表の0aは、Aさんの原点です。それに対して、0bはBさんの原点です。Aさんの反応曲線(赤線)というのは、Aさんが公共財の負担割理が増すと、公共財の利用額を減らすというものを表しています。これに関して、Bさんの反応曲線(緑線)は、原点が右下にあるので、Aとは逆になっていると考えます。
ここで、Aは、自己負担の割合を下げるために、本心とは異なる低い価値の表明をします。それが、A‘曲線です。初期では、AもBも同じ負担割合であったものが、本心を偽ったために、自己の負担割合が下がったのです。これがまさにフリーライド問題です。しかし、それを知ったBも、Aと同じように、低い表明をすると、Aと同じことが起きます。ただし、その表明の低さで曲線がどこまで低下するが決まりますが、図表では同じほど下がった場合としています。
こうなると、負担割合は、あまり変わらないといえますが、縦軸の公共投資額は低下します。その地域では、公共財が少なく提供されるのです。
これで一番困る人は、所得の高くない人々でしょう。なぜなら、高所得者は、自費で民間の高いサービスを購入することができるからです。
これとは反対に、公共投資の必要性を声高に要求する人もいます。そうすると、自己の負担割合は増加するのですが、公共事業の受注ができる人(企業)ならば、自己負担よりも大きな収入となるので、公共財の評価を高く表明するのです。小さい町では、公共工事が増えると、業者のみならず、町の人々にも利益が及びます。負担といっても、税金の場合、広く国民が負担するので、費用対効果では地域の得になるので、地方や地域は公共財を誘致したがるのです。
この結果、都市は人口の割に公共財が少なく、反対に、地方に相対的に多く公共財が存在することになります。
これによって、国家財政は逼迫し、都市の人々の不満も高まります。