第15回 リスク回避度とICT投資
前回は、S・ハンチントンの大局的な視点から、日本と米国の対照性(対称性)をみました。
ここからは、何回かに分けて、社会観や組織観や労働編成や人間関係などと、ICT投資との関係をみていきたいと考えます。
その第一回目は、「ICT投資とリスク回避度からみた双対原理」です。
なお、ここでいう双対原理とは、日本と米国の個人や組織や企業の価値観や行動スタイルが2つの軸から見ると反対になることを意味しています。
日本人は、よくリスクに対して弱いといわれることがあります。または、リスクに敏感であるともいわれています。その証左として、よく引き合いに出されるのが、各種保険等への加入率の高さです。日本人は、リスクを回避したいがために、保険に多く加入するとみるのです。これは、「情報経済論」(別のコラム参照)では、すでに述べましたが、「リスク回避者」の行動を日本人はとるといいかえることができます。
ここでは、ホフステード(Hofstede, G)の「国民文化の4次元モデル」を利用して考えてみます。ただし、氏のモデルは、消費者行動論のなかで議論されているものであり、ICT投資論ではありませんが、ここではこのモデルを援用しています。このモデルの解説としては、田中洋・清水聡編『消費者・コミュニケーション戦略』(有斐閣。2006)がよくまとめらています。
氏の研究(2001)のデータを利用します。なお、そのデータは、世界50数ヵ国・地域のなかで特定のグローバル企業の労働者の価値観を聞いた結果です。年代的には、2000年前後です。
これによると、「不確実性の回避度(uncertainty avoidance)」、すなわち、リスクを回避したい度合いのことですが、日本人は、92ポイントで、米国人が46ポイントです。ここでは大きな値の方が不確実性を回避したいと強く考えているということを意味しています。なおもっとも低い値は、シンガポールの8ポイントです。東アジアの国をみていると、台湾人が69ポイント、中国人が30ポイント、韓国人が85ポイントとなっていました。
この双対原理からの分析は、日米との比較で行っているので、それ以外の外国人は参考のためのデータとして挙げています。
この不確実性回避度が大きく、ICT投資が小さい場合、図表の第2象限にきます。それに対して、不確実回避度が小さく、ICT投資が大きい場合は、第4象限にきます。まさに、日本と米国は双対な関係となっているのです。ただし、あくまでも相対比較です。
では、なぜ、リスク回避度が大きいとICT投資が小さくなるのでしょうか。
今後、いくつかの理由を考察しますが、必ずしも実証されたものではなく、仮説として提示します。
人間は、どの国の人々であっても、不確実な場合は、期待値計算をするというのが、情報経済論的見方です。この場合、不確実性は客観的な確率であったとしても、それをどのように認識し評価するかは、国民性によって異なるいえます。すると、日本人は、世界共通のICT投資でも、その期待値計算における割引率は大きくなるでしょう。
ICT投資は、土地や建物や機械などの実物経済財(有形財)に比べるとその投資効果は分かりにくいのは確かです。
日本のICT投資の歴史を考えてみると、まずは、FA(factory automation)として導入しました。その後、OA(office automation)として採用しました。その後、企業戦略的投資が視野に入っていたのですが、日本の企業はほとんどといっていいほどこの分野への投資はしてこなかったように思えます。これに対しては、統計資料も今後は示します。
別の見方からすると、ICT投資は、大きくいうと3つの効果が考えられます。第一が、「コスト削減効果」です。先のFAやOAはまさにこのために導入したといえます。第二は、「付加価値創出効果」ですが、日本はこの面への投資は少ないのです。第三が「競争優位効果」です。これは、前2者の結果ともいえますが、戦略的投資がなされていないともいえます。
ここで先の話に戻ると、日本は効果がはっきりとしている、他の言葉で言い換えると、不確実性の小さいものから投資してきたといえます。
結果、付加価値創出効果や競争優位効果を生み出すICT投資の手法やスキームまたは実務的なノウハウがなかった(確立していない)ために、ICT投資が停滞したのではないかという仮説がこれです。
それは、ちょうどコスト削減効果から後2者の効果としてのICT投資が、世界的には本格化しはじめた時期と重なっているのです。
次回も、リスク回避からみた問題ですが、消費者の意識面と経営者の意識面から論考を進めていきます。