総合システム論 第6回 デカルト的思考
ルネ・デカルト(1596-1650)は、近代哲学の祖と呼ばれています。または、大陸合理主義(Comtinental Rationalism)の提唱者でもあります。
今につながるデカルトの思考は、いかなるものかをここでは簡潔にのべてみます。
デカルトのもっとも有名な句は、「われ思う、ゆえにわれあり(cogito ergo sum)」です。あらゆるものを徹底して疑って、最後に残るものは、「疑っているという自己意識」のみであるとみました。これによって、世界の真理は明らかとなると考えたのです。このような思考方法を、「方法的懐疑」といいます。信じられるのは、疑っている自身の精神のみであるということです。そこで、身体は単なる物質であり、世界を埋め尽くす物質と何等かわりのないものとみます。他の言葉でいえば、身体は「延長」されたものであるとみるのです。この見方から、「心身2元論」が導けることになります。
以上のような思考方法を通じて、機械論的世界観が生まれます。人間精神や理性以外は、すべて機械のようなものであり、そのメカニズムを解明すれば、世界の本質が明らかになると考えたのです。そのためには、この世の中の空間は均質でなければなりません。しかも、時間も均質なものとみました。これは、ニュートン物理学と同じ考えであります。
それゆえに、デカルトは、幾何学の創始者とも呼ばれているのです。
横軸をX軸として、縦軸をY軸と考えれば、そのXとYにはなにがはいってもよく、2つの変数によって世界が記述できることになります。そのなかに描かれる線や曲線は、数式で表現できるので、いまの科学の基礎を作ったともいえるのです。
しかし、本当に、精神と身体は分離可能なのでしょうか。精神のみが単独で存在しうるのでしょうか。先に述べた心身2元論は、大いなる疑念が残ります。しかし、徹底した懐疑は、真理の探求にとっては極めて重要で、科学的思考・手法の原点だといえます。
次回は、「水槽の中の脳」という思考実験を通して、2元論をもう少し深く考えるとともに、人工知能の可能性を考えてみたいと思います。