総合システム論 第29回 周縁
周縁とは、「もののまわり」(『大辞林第三版』)のことです。もっと簡単にいうと、周辺や縁のことです。英語では、rim 、fringe、peripheral、marginal、がそれにあたります。
あえて、周縁という言葉を使う場合、哲学用語として使用されることが多いでしょう。
文化人類学者の山口昌男氏の重要な概念のひとつに「周縁」があります。
この周縁は「中心(center, core)」と二項対立として意味を持ちます。中心がない場合は、その周囲は存在しないからです。
山口は、人は、中心から周縁なるものを排除しようとするとみます。とくに、権力者はそうするとみます。なぜかというと、自分にとって、異なるものは否定されるべきだからです。文化や思想を純化することであるともいえます。よって、排除された物・者は、周縁に配置されます。
その一方、中心が純化し、同質化するほど、その中心の生命力や活気はなくなります。
最後には、歴史家のジョン・アクトン(John Acton, 1834-1902)の有名な格言のようになります。「絶対的権力は、絶対的に腐敗する(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)」のです。
よく革命は、辺境部(ここでは周縁)から起きるといわれています。これもある意味当たり前のことですが、周縁に追いやられた人々は、一端は排除され虐げられたものだからです。彼らの反撃に合うのは仕方のないことです。しかし、この場合も中心勢力が力を保っていれば、周縁は抑圧できます。体制が崩壊する場合は、中心から腐っている場合がほとんどです。その場合、巨大な帝国でも、あっという間に、瓦解します。それは古今東西の歴史が証明しています。
ここでは、主に、経済―経営領域を対象に考察を進めていますので、そのほうでもう少し話をします。
ある産業においても、中心には、その産業を代表する大企業が君臨します。かれらは、市場では、マーケットリーダーと呼ばれています。その次は、チャレンジャーが数社存在します。そのあとに、フォロワーがいます。周縁には、ニッチャーやカルトが存在します。やはり、新しい商品やサービスは、周縁部から生み出されるといえます。もちろん、先の議論のように、中核企業の研究・開発・製造能力が高いときには、周縁部にはぺんぺん草しか生えない状況かもしれません。ただし、技術の成熟化(発展の鈍化)と経営層の代替わりで、中心力を失うことはよくあります。そのときには、周縁部にいたニッチャーの出番です。このようなニッチャーを率いる経営者は当初は野生児扱いされます。これも、中心の文化を持っていないからです。しかし、一旦、かれらが力を得ると、燎原の火のごとく、あっという間に、市場を席巻することもありえます。マーケットは、やはり民衆(消費者)の力によって動くからです。
大衆消費者のこころを掴むアテンションのある商品やサービスが、ニッチャーが成功する初めの一歩と考えられます。