AI経済学 第6回 定義
すべての学問は、様々な概念や用語や理論から成り立っており、その出発点は、言葉の定義といえます。
AIについても、定義を考えてみます。
総務省『情報通信白書平成28年度版』のなかで、AIの定義に関して様々な専門家の見解がまとめられていますので、その中から、いくつか選んでみます。
中島秀之氏は、「人工的につくられた知能をもつ実態」と述べておられます。西田豊明氏は、「知能を持つメカ、ないしは心を持つメカ」といいます。溝口理一郎氏は、「人工的につくった知的な振る舞いをするためのもの(システム)である」といいます。また、長尾真氏は、「人間の頭脳活動を極限までシミュレートするシステムである」と述べています。
これに対して、浅田稔氏は、「知能の定義が明確でないので、人工知能を明確に定義できない」と述べておられます。
上記の見解を総じていうと、「知的振る舞いをするシステム」といってもいいかもしれません。
筆者自身は技術の専門家ではないので、それは諸研究者にお任せするとして、本コラムのAI経済学は、あくまでも経済または経営領域におけるAIの意義や役割やその生産性に関するものなので、とりあえず、ざっくりとした広義の定義でいいのではないかと考えます。あくまでも、経済に関するAIの機能(働き)こそが問われるからです。
話はちょっと飛躍するかもしれませんが、AMA(American Marketing Association)のマーケティングの定義の仕方が参考になるかと思います。マーケティングのような経営環境や市場環境および技術が素早く変化するなか、マーケティングの定義は、時代に合わせて何度も改訂されています。これとパラレルに考えると、AIも10年先、20年先には、どのように進化を遂げているのか分かりません。究極的には、人間かそれ以上の知性をもつものになるかもしれませんが、そうでないかもしれません。倫理的な面もあり、あえて、人間の知性の一部を欠如させておくことになるかもしれません。
今のところ、経済領域においては、AIは一般的な定義で事足りるように思います。
むしろ、「AI資本(AI Capital)」、すなわち、AIの生産要素およびその手段性をどう捉えるのかが、経済分野においては有用(有益)かと考えます。