総合システム論 第33回 技術的知性仮説
前回、ヒトが、知性をいかに発展させていったのかは、大きくいうと、「技術的知性仮説」と「社会的知性仮説」があることを述べました。
今回は、「技術的知性仮説(Technical intelligence hypothesis)」を考えます。
確かに、ヒトとそれ以外の動物では、道具の利用の水準がまったく異なります。霊長類でなくても、かなりの動物が道具を使うことは知られています。しかし、その技術の差は比較になりません。
このように、道具の使用が心(mind)を生み出したという仮説が、技術的知性仮説です。
『脳科学の最前線(上)脳の認知と進化』(理化学研究所・脳科学総合研究センター編、講談社、2007)によると、「道具が身体の一部となると同時に、身体は道具と同様の事物として「客体化」されて、脳内に表象されるようになった」と考え、「自己の身体が客体化」されることによって、それを操作する意思を持った「心」が生まれたとみるのです。
もう少し簡単化していうと、道具をもって何かをするときに、とくに手は、道具と一体化するので、身体は客体化され、相対的に心という主体が生まれるというのです。
これは、当コラム第6回でみた「デカルト的思考」の誕生を思わせます。
ここで、「道具(tool)」とはなんでしょうか。
道具とは、「物を作り出すため、あるいは仕事をはかどらせるため、また生活の便のために用いられる器具の総称」で、「他の目的のための手段・方法として利用される物や人」(『大辞林第三版』)のことです。これに対して、「機械(machine)」とはなんでしょうか。
これも同辞書によると、「動力源から動力を受けて一定の運動を繰り返し、一定の仕事をする装置」であるといいます。
ここで、道具と機械を分けるメルクマールは、道具がもっぱら人の力で動かすのに対して、機械は、他からの動力を得て動作する点です。上記の辞書では、「きっかけを与えると人力を借りずに自動的に作動するもの」といいます。これを発展的にいうと、「きっかけ」自体も自動的になった場合は、「人工知能マシーン」といえるかもしれません。
道具を使用することによって、ヒトは知性を発展させていったことは説得性があります。
さらに、道具が機械となれば、当コラム第14回で述べたような未開社会のモノづくりであるブリコラージュから、近代社会における工業生産が可能となるのです。
ポストモダンの時代、現代版ブリコラージュとともに、AIによる超現代型モノづくりが同時並行的に進行するように思われます。
そのときのヒトは、いかなる知性を発展させるのでしょうか。