総合システム論 第25回 メタ視点
これまで、構造にかかわる視点から、何回か書いてきました。今回は、この構造をみる「視点(view point)」について考えます。
視点や視線、または目のメタファーは無数にあります。たとえば、「目が飛び出る」「目が熱くなる」「目が点になる」「目からうろこが落ちる」など。また、「視点が定まらない」や「視点がぼやける」などもあります。それほど人間にとって、視点や見ることの意味が大きいということでしょう。
後2者は、実際に、目の焦点が定まらずよく見えない様をいい、焦点がぼやけることをいいます。これは、生物的身体的な問題ですが、物事を認知・理解するときにも使います。
ここで、視点の定義ですが、「視線が注がれるところ」や「物を見たり考えたりする立場」や「観点」のことです(『精選版日本国語大辞典』)。
この定義もやはり、実際に物理的にものを見ることと、精神的思考的な作用の両方の意味を持っていることが分かります。
ところで、視点を議論する場合、動物の目に譬えることが多いのは特徴的です。
まず、「鳥瞰(bird’s eye view)」というのがあります。鳥がまさに上空から、大地を眺めるさまです。ビルや建物や川などが、斜め上空から見られるので、物体の配置や形状などがよくわかります。
これに対して、「虫瞰(insect’s eye view)」が対比語となります。まさに虫のように、地面の形状や有様を詳しくみることのたとえです。
社会科学におけるものの見方や考え方として、鳥瞰は、広く全体を眺めることです。要素がどれくらいあり、どのように配置されているのかを知ることです。意味としては、over view といえます。まさに、外観や大要やあらましなどです。とにかく、全体像をつかむということです。巨視的といえます。これに対して、虫瞰は、細部に目を凝らし、事象や現象を詳しく調べることです。まさに、分析に対応します。微視的といってもいいです。これからすると、社会科学においては、この両方の目をもつことは重要であることが分かります。
ただし、視点が定まらないことでは、いけないということです。ですから、まずは、このどちらかの視点から物事を観察します。そして、その後、どちらかに視点を移していくということでしょう。
ただし、自然科学と社会科学の違いを意図的に鮮明に述べると、社会科学では、まずは、大きな構図や構造や配置や枠組みを知ることが大切なような気がします。なぜならば、社会とは、まさに、個々人ではなく、その集まりや関係性をいうからです。その後、より細部に目をやり、その分析・評価を試みます。
これまでの視点の定め方は、どちらかというと「視点を固定」(まさに定める)して物事をみるというものでした。これも近代科学的思考法の一種です。定点観測という言葉はそれを指します。
これに対して、マーケティング的視点はどうでしょうか。
マーケットは常に揺れ動いています。価格は変動し、商品も時々刻々変化しています。
この場合は、「魚瞰(fish’s eye view)」という言葉が適当かと思います。ただし、この言葉は、あまり使われていません(筆者の造語ではありません)。
すべての動物は、なぜ目を持つのかでいうと、獲物の捕食と敵からの回避のためにあるといってもいいでしょう。経済学用語でいい直すと、利得と損失のためです。もちろん、生物は、利得を高め、損失を減少させ、子孫を残すことが目的です。
この場合、魚は、普通は流れている水の中で、外敵から身を守りつつ、捕食をすることが生き残り戦略となります。
マーケティングに話を戻すと、流れている水は、マーケティングの「潮流(トレンド)」を意味します。それは緩やかな時もあれば、激流のときもあるでしょう。また、水が濁っていて、視界が取れないこともあるでしょう。これは、マーケットの不確実性の大きさともいえます。外敵は、水の中の自身より大きな魚か異種の生物です。これは、マーケットの中の競合社に相当します。また、鳥のように川の外から襲ってくることもあります。これは、マーケット外からの新規市場参入者のようなものです。このような市場環境から、ターゲットを見つけ出し、うまく顧客を捉まえるのがビジネスです。
今回は、視点を考える(メタ視点)話をしましたが、西洋人と東洋人とでは、視点の取り方が異なっているのではないかという仮説があります。次回は、それを考えます。