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総合システム論 第27回 エピステーメー

 構造主義は、人間社会の背後に、目にはみえない規範や構造があることを理論化しました。

 その理論では、その構造に人々は捉われ、自由な主体的な行動はとれないことになります。もちろん、本人は自由な意思決定をおこない、自由な行動をとっていると思っても、実は、構造内での自由にすぎないのです。

 その構造が、現実社会のなかで様々な構造的問題を生み出すのであれば、その構造自体を変革または破壊、そして再構築しなければならないという考え方があります。

 その考え方を総称して、「ポスト構造主義(Post structuralism)」といいます。

 その前史あたるのが、トマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn, 1922-1996)の「パラダイム論(Theory of Paradigm)」ともいえるので、それを少し述べます。クーンは、米国の科学史家で、「パラダイム」とは、「科学理論の歴史的発展を分析するために導入した方法概念」であり、「科学研究を一定期間導く規範」であるといいます(『大辞林第3版』)。その後、概念の曖昧さなどの批判を受けながらも、より広い社会概念として認められるようになりました。いまでは、パラダイムとは、「認識の仕方」や「考え方」や「時代の思考を決める大きな枠組み」と理解されています。そのパラダイムが、大きく劇的に変化することを、「パラダイムシフト(Paradigm Sift)」や「パラダイムチェンジ(Paradigm Change)」といっています。ただし、もともとは、自然科学の理論的転換の話なので、経済社会がどのように変わるのかを論じたものではないのです。

そこで、ポスト構造主義の初期の学者として、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)が現れます。その主要な概念が、彼の代表作『言葉と物』(1966)に出てくる「エピステーメー(Episteme)」です。

 このエピステーメーとは、「知識」のことであり、「ドクサ(根拠のない主観的信念)に対する学問的に得られる知識」であり、「各時代の基盤にある、知の基本的な枠組み」のことをいいます(『デジタル大辞泉』)。ただし、知識それ自体というよりも、「メタ知識」といったほうが適切です。個々の学問や知識を支える基盤のような存在です。このエピステーメーが転換すると、その上にある個々の学問や知識が転換する(変容する)と述べました。ただし、この基盤となるメタ知識はどのように転換することができるのかがまた問われることになります。さらには、メタ知識を支えるメタメタ知識もあると考えれば、このような考え方は、大変な難問であることが分かります。

 このように、知の構造を把握した時に、それはどのように主体的に変革可能なのかは、簡単には答えが見いだせないでしょう。

 そこで、もう少し具体的な構造から、その変革の可能性を探った方がいいと思われます。

次回は、彼が採用した「パノプティコン」という概念を通して、構造からの脱出方法を考えていきます。

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