総合システム論 第16回 共時性と通時性
前回は、構造主義の思考法のうち、2項対立的思考を簡潔に述べました。
今回は、それとも関係の深い2項対立的な見方である「共時性と通時性」について述べます。
構造主義とは、個別具体的な現象や主体に目を向けるのではなく、その全体の意義や意味を読み解こうとした思潮であり認識方法でした。また、全体の背後にある目に見えない構造を発見しようとしました。かつ、その構造は、ある意味、普遍的で基底的であるとみました。
ということは、その構造がころころと変わっては都合が悪いのです。
そこで、「共時性(Synchrony)」を重視します。この共時性とは、「時間の流れや歴史的な変化を考慮せず、一定時間における現象・構造について記述するさま」(『デジタル大辞泉』)をいいます。一言でいうと、時間の概念を無視することです。
比喩的にさらに説明をすると、この世界の現象を写真に撮ることに似ています。ある時間で切り取られた風景や景色や状況です。今、何が起きているのか、今、人々や企業がどうあるのかを記述します。そして、その背後にある関係性を構造として同定しようとするのです。
これに対して、「通時性(Diachrony)」とは、「関連する複数の現象や体系を時間の流れや歴史的な変化に沿って記述するさま」です(上記辞典)。変化や進歩の概念は、こちらで把握されたものです。これも先とパラレルに表現すると、時間概念(歴史観念)を導入した認識手法です。
このような時間という概念を基準とした2項対立的思考は、様々な学問でもみられます。
構造主義の基礎理論といわれる言語学では、「共時態」と「通時態」といいます。社会学では、「社会静学」と「社会動学」として区別します。経済学では、「経済静学」と「経済動学」といいます(ただし、研究者によって呼び方は少し変わります)。
ところで、現実の経済社会は、変化しているのでしょうか。普通は、時代によって、大きく変化するといいます。それは現象が変化するだけで、その背景にある構造は変わらないのでしょうか。
少なくとも、現代社会経済は、時々刻々とまでは言わないまでも、10年単位でみると、大きく変わっているようにみえます。その構造も変化しているように思えます。
一方、構造主義者が、最初に発見した未開社会(差別的な意味ではなく学術用語として)は、数千年間、変わらない社会規則や構造が保たれているようにも思えます。
そこで、近代社会を、「熱い社会」と呼び、未開社会を、「冷たい社会」と呼びました。
次回は、その概念を中心に、さらに社会構造を考えていきます。