総合システム論 第24回 脱組織
この組織の話は、きわめて話しづらい概念です。古今東西、企業においても個人においても大変な難問だからです。本や論文も無数にあり、この短いコラムで書くのは心がひけますが、情報経済論とその後の発展とに大きなかかわりがあるので、そこに焦点を当てて、少しばかり考えてみることにします。
「組織(organization)」とは、「企業体、学校、労働組合などのように、2人以上の人が共通の目標達成を目指しながら、分化した役割を担い、統一的な意志のもとに継続している協働行為の体系」をいう(『世界大百科事典第二版』)。
この定義をもっと簡素化すると、複数名の人が、共通の目標を達成するための継続的な何らかの社会経済主体といえます。主体性のかわりに、実体性や関係性を用いてもいいかもしれません。これは、法人の認識の違いに依拠していますが、意味はあまり違いません。
情報経済論の中心として、「組織の経済学(Economic of Organization)」があります。この理論は、つぎに示すふたりの学者によって打ち立てられたといってもいいでしょう。
その一人が、R.H. コース(Ronald H. Coase, 1910-2013)です。ノーベル経済学賞の受賞は、”The Nature of the Firm”(1937)と“The Problem of Social Cost”(1960) の業績によります。
コースは、市場での取引において、「取引費用(transaction cost)」が必要なことを明確にしました。それまでの古典派経済学は、市場での取引には、時間も空間もなく、費用もかからず価格が決定したと考えていました。その前提で理論を構築することも可能ですが、現実の取引には、実際、多くの費用がかかります。
たとえば、財を探索するコスト、その品質等が正しいのかを調査するコスト、交渉および契約するにもコストがかかります。相手の行動を見張る監視コストもかかります。
このような「コストの束」を前提にして、市場で調達するほうが安上がりなのか、内部から調達する、すなわち、組織に人的資源を抱えていた方がいいかによって、組織の規模が決定するとみたのです。
いまひとりは、O. E. ウィリアムソン(Oliver Eaton Williamson, 1932- )です。かれの代表作は、”Economic Organization : Firms, Markets, and Policy Control”(1986)です。かれの基本的な考え方は、人間の合理性を限定的なものとみて、機会主義的な行動をとる存在とします。匿名な人々との取引においては、コースと同じように、そのリスクを回避するために多大な費用がかかるとみました。そこで、その取引費用を節約するために、組織が作られるのだと考えたのです。
これらの考え方は、さらに、不確実な環境下で、合理的な行動をとるためには、経済社会の規範や制度が必要であると考えました。まとめて、「新制度派経済学(New Institutional Economics )」と呼ばれています。
法律や法制度も、経済を合理的に運営するためには必須のシステムであり、その制度のあり方が、同じ資本主義でも、異なる経済体制(様式)を発現させるとみるのです。
この場合、「本コラム第16回 共時性と通時性」の問題とも関係してきます。
たとえば、日本の現在の社会経済体制(様式)は、今の他の主要先進国の社会経済と比較して、どのような制度で、それがどのように経済様式に影響を与えているのかを考えることができます。これはまさに、共時的分析です。それに対して、日本は、明治維新で西洋文明を受け入れ、近代法を継受しました。その後、敗戦で、今度は米国流の経営システムや法を受け入れました。その後、高度成長期を経て、安定成長、低成長社会へと移行しました。時間軸のなかで、経済の発展をみた場合は、通時的分析といえます。それぞれの国は、それまでに歴史があり、その正負の遺産を引き継いで今があります。
このような考え方は、いまでは「比較制度分析(Comparative Institutional Analysis)」とも呼ばれています。
このような理論的経緯を概観したあと、今後の日本企業の組織のあり様を示唆的に述べてみたいと思います。
「組織の経済学」では、組織は、内部情報処理コストと外部情報処理コストの関係で、組織規模が決定されるとみますが、ICT資本やAI資本がどんどんと導入される中、組織はどうなるかです。ただし、本コラムの一連の「ICT効果論」のなかで、日本のICT投資が少ないことは何度もみました。そういう制度を採用してきたといえるでしょう。
ICT資本は、内部情報処理コストを削減する効果と、外部情報処理コストを削減する面の両方がありますが、外部情報処理コストがインターネットの発達によって、大いに低下しているにも関わらず、内部の人による情報処理に頼ってきたといえるでしょう。雇用の安定と日本の雇用に関する法制度(法解釈)がそうさせたといえますが、ルーチンワークを人手に頼ってきたのです。ですから、生産性が上がらないということになるのです。新しい小さな企業(組織)がたくさん生まれ、それから資源を調達すれば、自身の組織もより小さなものにできます。
いまの疫病の対策のためのテレワーク(リモートワーク)が、それが制圧された後でも、活用されていくのかどうかです。もちろん、非常事態的に対応する状況から、徐々に、平時でも導入が進めば、組織の編成のあり方や、様々な社会制度も変容していくことになるでしょう。2,3割導入が定着するだけで、2,3割の都市の人口や移動のあり方も変わるでしょう。
明治以後、150年間続いた、中央集権国家のあり方が、かなり分権的になりうるし、今一度、国土の均衡ある発展とリスク分散の観点からの新たな「働き方改革」につながるように思われます。